境内の右前方、公孫樹の付近に一つの井戸がありました。
今は蓋がされ埋められていますが、かつては水舎(六本柱の建物、合寺で破却)に囲われていたこの井戸は、この広場の一つの潤いでした。
旅人が渇きを癒し、門前で遊ぶ子供たちがその手足を洗ったであろうこの井戸。
面白いことに、「向拝の龍」がこの水を好んで飲みに出たという伝承が残っています。
そしてこの龍が、かの有名な左甚五郎の作だと、バスガイドさんが説明されていることがありますが、
残念ながら年代が合わないようです。
甚五郎作ではありませんが、これらの彫刻は非凡の技を見せています。