本文へ移動

今月の行事予定

RSS(別ウィンドウで開きます) 

ハミズハナミズ

2014-08-14
ピンク色の「ハミズハナミズ」の花をいただきましたので、お供えさせていただきました。
 
この花は、葉が落ちてから花が咲くので、「葉は花を見ず、花は葉を見ず」という意味でそう呼ばれるそうです。
 
夏水仙とも言いますが、ヒガンバナ科の植物です。
 
お盆の時期、田んぼの畔屋や墓地の隅に咲いているのをよく見かけます。
 
 
 
 
 

盂蘭盆会

2014-08-13
 
お盆の期間中は、当寺でお遺骨をお預かりしている方の法名を、仏間に飾らせていただいています。
 
どうぞお参りください。

8月6日から8日まで太子伝会を行いました

2014-08-08
8月6日から8日までの3日間、太子伝会が行われました。
 
 暑い時期のお参りなので、体調を崩される方がいないか心配をしていたのですが、
 
本堂は風が通り涼しかったです。3日目には雨が降り、少し肌寒いくらいでした。
 
 
朝のお勤めは、午前9時30分から
 
太子堂にて「聖徳太子奉賛和讃早引き」
        
 本堂にて「讃仏偈」
 
 
その後、聖徳太子絵伝絵解がありました。
 
今年は第2幅目で、
 
蘇我入鹿と物部守屋の戦乱の話から始まりました。
 
池田理代子の漫画「聖徳太子」より、
 
負傷した兵士たちから「助けてくれ。おいていかないでくれ。」の叫び声を聞き
 
「これは地獄だ。この光景に目をつぶり、彼岸の悟りを願って何になるというのだ」
 
「私も人の子ならば敵の兵もまた人の子、この剣を人の子の血で染めながら、仏法を修め、我が魂の救いだけを求めて何になるのだ」
 
(決めたぞ。私はこの地上での力を手に入れる。そうしてまさにこの現し世に仏法を実践してみせる)
 
 
印象に残る太子のセリフを紹介されながら、わかりやすくお話いただきました。
 
 
お昼には庫裏にて、冷たいそうめんをみんなで一緒にいただきました。
 
 
お昼のお勤めは、13時30分より
 
太子堂にて「聖徳太子奉賛和讃早引き」
     
 
     「聖徳太子略縁起」拝読
   
 
本堂にて「重誓偈」
 
引き続き、法話をいただきました。
 
金子みすずの詩を紹介していただいたり
 
「諸悪莫作、諸善奉行」に関連して死刑制度の問題など、
 
プロジェクターを使いお話しいただき、とても考えさせられました。
 
 
太子堂
聖徳太子絵伝の絵解き
ネギ、しょうが、みょうが、しそなどのお好みの薬味をのせていただきます。

いただきます

2014-08-03
いただきます。
食事の前に手を合わせて「いただきます」と言ってから、食べ始めていますか?
この「いただきます」は誰に対して言っているのでしょうか?
もちろん一生懸命作ってくださった方や食事を用意してくださった方に対して、「ありがとうございます。いただきます」ということもあるでしょう。
食事のお肉や魚、野菜やお米も私たちと同じ、いのちあるものです。
それなのに自分のいのちを差し出して、私たちの栄養になってくれるのです。
「いただきます」は、その尊い命に、ありがとうというのです。
とても当たり前のようなことですが、私たちはついついそのようなことは忘れてしまい、
「どうせ食べるのなら、もっとおいしいものがいい」と、わがままを思ってしまいがちです。
私たちのいのちは、たくさんのいのちによって生かされていることを、手を合わすことで思い出してください。

礼法と格式

2014-08-02
 
 今日我が国の文化で「日本的」といわれる文化は、ほとんどが室町時代にできたものです。
 
「室町」は、社会全体の構造そのものが、庶民を中心にものすごい早さで変質し、その予想外の化学変化が、そのままそっくりあたらしい改革のエネルギーとなり、まったく新しいものをつぎつぎと生み出した時代です。
 

たとえば「能」、たとえば「床の間」…。「華道」から「香道」、「連歌」、「狂言」、「歌舞伎」、「茶道」、「水墨画」…。またもろもろの「礼法」と「格式」。「作庭」から、「数寄屋」(畳敷の部屋、玄関、廊下もこのころからはじまります)、「木綿の衣服」など…。現在われわれの暮らしに見られる生活の様式が、みなほとんどこの時代に芽生え、定着し、そしてしっかりと根をおろしています。そしてまたその食事一つを眺めてみても、刺身をはじめ和食の源形…納豆、豆腐、饅頭、羊羮(蒸物)などが、このころの民衆のなかで味付けされ、今日もわわれの生活を支えています。

これらを生んだバイタリティはどこから来たのでしょうか…?。

それはこの時代のやり切れぬ悲惨さや混乱さが、苦しみゆえに爆発的創造のエネルギーと変化し、あらゆる場面に噴き出したからでしょう…。

 

 ところでこの室町が創造したものの最高傑作は、何といってもわが国独自の「礼法と格式」という風習であります。

 食うや食わずのギリギリの世相のなかで、腹の足しにもならぬ不思議な「諸礼式」というものを、それも一つでは飽き足らず、念を入れていろいろな諸流派(小笠原流、伊勢流、今川流、細川流など)として、つぎつぎと創り出し、生活のなかに定着させました。そしてこれから派生した「茶の湯」に至っては、あの信長をさえ、完全に虜にするのでした。

 

 さらにこの格式と礼法はながく尾を引き、その後江戸三百年間、大名や庶民をかぎりなく縛りつづけ、つづいて平成の今日まで影響し、冠婚葬祭のたびに「作法」として、見えざるる手枷足枷となり、大衆を見事に支配しているのです。

 

 

 

                                聞名寺物語より 抜粋

代替テキストをご記入ください
代替テキストをご記入ください
代替テキストをご記入ください
TOPへ戻る