風の盆
『風の盆』の由来について
「風の盆」
この美しい言葉は、遠く奥飛騨地方…現在の高山市以北辺りが起源であろうと思われます。
養蚕が盛んであった時代、8月15日の盂蘭盆会は、蚕が繭になりはじめる時期と重なるため、人々はその世話に忙殺され、お墓参りどころではなかったのでしょう。そこで人々は辛い労働に明け暮れながら呟きました。
「ご先祖様、ごめんなさい。もう少し待ってくださいね…」と。
そしてようよう蚕が一段落して、村中がほっと一息つくことが出来た時、人々は吹きはじめた秋風の中を、遅れた墓参りにいそいそと出掛け、謹んでお礼の言葉を言いました。
「お蔭様で今年も良い繭がとれました。ご先祖様ありがとう…」。
全国的に養蚕の盛んだった山間部では、「九月盆」や「秋盆」という言葉が残っていますが、飛騨地方ではこの遅れたお墓参りを秋風の吹く頃ということで「風の盆」と呼びました。
「盆」という語は「墓参り」の他に、古来「共同で休む」という意味を含みます。
おわらはかって「回り盆」と呼ばれておりました。
「風の盆」を「風封じ」や引いては「豊作祈願」と説明するのは、正しい解釈ではありません。
何故なら「風鎮め」を目的とするなら、それは「盆」ではなく「祭り」というのが筋だからです。
風の盆講中
『講中』の意味
「講中」とは信仰を共にする仲間を指す言葉です。
「風の盆講中」は当寺の趣旨に賛同し、この二百十日を単なる民謡の集いではなく、宗派を超えて共にご先祖のご苦労を偲び、感謝申し上げようとする人々により、平成6年秋に結成されました。
毎年9月3日には境内の「風の盆の碑」前において、ささやかな仏事を執行する事により、諸々の先人に追悼の誠をささげ、講中独特のおわらの歌詞と合掌の所作を通じて、一人でも多くの方に
「生かされている幸せとその意味」を考えていただき、
「いのちの尊さ」を感ずる輪を広げて行きたいと志しています。
このため講員は腕輪念珠をつけ、背中には紋代わりに「浄心」(みほとけ様のこころ)と染めた衣装をつけております。
その参加者は県内はもちろん、石川、大阪、京都、愛知、東京、遠くは九州福岡、鹿児島にまで及んでいます。
またこの趣旨に協賛して下さる寺院方より、現在は県外に宗派を超え、いくつかのお仲間も誕生しています。
風の盆の様子
風の盆法要
願智坊開教700年記念 福應寺おわら奉納 (2014-09-18 ・ 372KB) |