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歴史

聞名寺の歴史

願智坊覚淳

正応三年(1290)三月、聞名寺の祖・願智坊永承は、美濃国各務郡平島において、本願寺三世覚如上人のお弟子となり、「覚」の一字をいただき、名を覚淳と改めお念仏の第一歩を踏み出しました。
 
 

飛騨聞名寺

願智坊は美濃に24年、次いで正和三年(1314)、飛騨国武原郷落合(益田郡小坂町落合)の道場を(現在の福應寺)、元享三年(1323)飛騨国高原郷吉田(吉城郡神岡町吉田)に一寺を建立し、嘉暦元年(1326)、覚如上人より「執持鈔」とともに「聞名寺」という寺号をいただきました。
 
 
 

越中聞名寺

 
聞名寺がはじめて越中に入ったのは応仁二年(1468)、本格的に拠点を移したのは大永四年(1524)であったと伝えます。
八尾南部の山間地(乗峰や倉ヶ谷など)を経て、福島の台地に一旦寺域を構えましたが、
越後上杉勢の来襲に備え、天文二十年(1551)、三方を崖に囲まれた旧い砦の址、「八尾前山」(現在地)に移りました。
その後寛永十三年(1636)境内に八尾町建てがなされ、当寺は町そのものの母胎として今日に至っています。
 
 

お念仏と合掌の姿

永い歩みを振り返って誇りとともに堂々といえるのは
「お念仏こそが何よりも強い」
ということです。
戦乱に逃げ惑い、飢饉に苦しみ、疫病に悩み、天災地変に押し流されながらも、武力も財力も持たぬ、名もなき人々が、こころの支えとして大切にしてきたお念仏と合掌の姿。
それが奔流する世相の中、ただひとつ生き残り、当寺を支え、法灯を守り、今日の私たちにみ教えを伝えてくださっているのです。
これこそ如何なる権力にも耐え抜いた、小さな「まごころ」の勝利だと言えるでしょう。
 
価値観をはじめ、一切のものが大きく変化する現代、
 
「何が最も大切であり、何が真実なのか?」 
 
この問いかけに歴史は静かに答えを私たちに教えてくれています。
ご先祖様の歩まれた道を学び直す事により、明日への「生きる知恵」とさせて戴きたいと思います。

概要

名称聞名寺
宗派浄土真宗本願寺派
所在地〒939-2353 富山県富山市八尾町今町1662
電話番号076-455-2028
FAX番号076-455-2037
代表者住職 霧野 雅麿
創立年月日正応三年(1290)三月

沿革

正応三年(1290)三月願智坊が本願寺三世覚如上人のお弟子となる
元享三年(1323)飛騨国高原郷吉田に一寺建立
嘉暦元年(1326)「聞名寺」の寺号をいただく
応仁二年(1468)越中入国
天文二十年(1551)現在地に移転
寛永十三年(1636)境内に八尾町建て
文化九年(1812)現本堂建立

交通アクセス

住  所:〒939-2353 富山県富山市八尾町今町1662
アクセス:●越中八尾駅 徒歩約20分 ●聞名寺下バス停 下車すぐ
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