本文へ移動

今月の行事予定

RSS(別ウィンドウで開きます) 

寺子屋 「本堂物語」おさらい会

2015-04-04
先日葉書にて、寺子屋の日時を総代を中心にご案内させていただきました。
 
去年より、枝垂桜の開花時期に合わせてライトアップを始めましたところ、予想以上にたくさんの方に当寺を参拝していただきました。
 
今年はライトアップに加え、桜の時期(4月10日より27日を予定)に、日中(午前9時から午後4時を予定)本堂を開扉し、本堂に入ってお参りしてしていただけるようにしたいと考えております。
 
つきましては、その時の参拝者に対しての「ガイド役」を、ご門徒さんにお願いしたいと思っております。
 
5年前より始めました聞名寺の歴史を勉強する「寺子屋」も去年一応の修了を迎えましたが、今回ガイド役をお願いするにあたり、もう一度「本堂物語」の部分のおさらい会を開催したいと思います。
 
 日時 : 4月7日(火)
 
 時間 : 午後7時 ~ 午後9時
 
 場所 : 聞名寺仏間
 
 
※前回の寺子屋に参加されなかった方もどうぞご参加ください。
 

3月21日 春季彼岸法要を行いました

2015-03-21
3月21日に春季彼岸法要を行いました
 
午前9時半より 聞名寺本堂にて 重誓偈のお勤め
 
続いて 聞名寺仏間にて 般舟讃の勤行
 
富山教区 深海正樹師よりご法話をいただきました。
  
午後1時半より
 
聞名寺仏間にて 念仏正信偈の勤行
 
引き続き深海先生よりお話をいただきました。
 
~ご法話より~
 
南無阿弥陀仏の六字を唱えての往生
 
如来のまことを信じさせて念仏申さば往生…
 
私の心を阿弥陀仏が揺り動かして、出て来て下さった念仏
 
×まことを信じてお浄土へ生まれさす
 
聞というは衆生仏願の生起本末
 
聞 信心をあらわすみのりなり
 
仏願の生起本末を聞かなければならない
 
仏願の生起本末を語らずして
 
「聞け!聞け!」というは、大きな間違いではないか
 
◎まことを信じさせてお浄土へ生まれさせたい
 
菩薩は自ら目覚め、他を目覚めさせるため
 
よう劫の修行している
 
覚らしむるために必要な力が満ちている
 
私がお浄土へ行くだけでなく
 
他の者も往生できなければ仏にならない
 
生まれたら 死ぬ
 
その中に私がいる
 
死なない方法は、生まれないこと
 
でも
 
死ぬために生まれてきたのではない
 
娑婆に生まれてきた意味は
 
生の意味をあきらかにするため
 
生死を超えた世界へ行くため
 
生死を超えさせたのは
 
私が念仏を唱えた力ではない
 
この私を揺り動かして、信心となって唱えさせ、出て来てくださった念仏の力
 
 
 
 
 

3月14日 初御講を行いました

2015-03-14
3月14日に定例法座 初御講を行いました。
 
午前9時半より聞名寺仏間にて
 
教行信証の勤行
 
福井教区 佐々木了慈師よりご法話をいただきました。
 
お昼には、豚汁と小豆ご飯をご用意させていただきました。
 
午後1時半より
 
般舟讃の勤行
 
引き続き佐々木先生よりお話をいただきました。
 
 
~法話より~
 
現代社会の中で苦しんでいる人がたくさんおられる
 
何のために生きているのか
 
この命に意味があるのか
 
 
親鸞聖人の念仏の精神は
 
今、目の前で苦しんでいる人を放ってはおけない
 
今、苦しんでいる人と一緒に考えていく実践真宗学
 
 
何で私だけがこんな目に合わなければいけないのだろう
 
治療法のない病気に苦しむ友人に
 
何て声をかければいい?
 
言葉がでない
 
やがては命を終えていく
 
わかっていても
 
いざ目の前に突きつけられると
 
無力である
 
現実に苦しんでいる人とどう向き合えばいいのか?
 
 
そもそも死が早く来ることは悪いことなのだろうか?
 
不幸なのだろうか?
 
長生きこそが価値があるのだろうか?
 
終末医療、延命治療はどうする?
 
今の医療は簡単には死なせてくれない
 
本人に意識がない場合、残された家族はどうすればいい?
 
ただ生きていてくれるだけでいい
 
そう思う場合もあるかもしれない
 
 
死が不幸なら何のために生まれてきたのか?
 
死を受け入れることができない
 
病気を受け入れることができない
 
しかし生と死は一緒である
 
死に向かって生きている
 
 
認知症
 
意識がなくなる
 
私が私でなくなる
 
ある意味死より怖いかもしれない
 
自分自身をも手放していかなければならない
 
 
若さ、結婚、健康、長生き
 
どれも幸せ
 
ただし、死んで終わりでなければ
 
 
 
本物の幸せは決してくつがえらない
 
 
お釈迦様は一番幸せについて考えられた人
 
そのためには仏になるしかない
 
 
いろんな人のそれぞれの価値観でみんなが幸せになる方法
 
自分だけが幸せになるのでなく、みんなが幸せになる世界=浄土
 
生きていくのが苦しいのは、偽物の幸せを求めるから
 
今までの、自分自身を縛っていた価値観が崩れる時
 
仏になる命だと気づかされた時
 
本物の幸せに出会った時
 
ありとあらゆる人の幸せを願える
 
そういう精神性になっていく
 
お念仏の歩み
 
 
死んでいくために生まれたのではない
 
幸せになるために生まれてきた
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

1月15日・16日 御正忌報恩講を行いました

2015-01-16
1月15日・16日に御正忌報恩講を行いました。
 
15日の午後8時より聞名寺本堂において
 
正信偈のお勤めを行いました。
 
このお勤めは、聞名寺では
 
天正十一年(1583)親鸞聖人祥月御命日満座法要の真っ只中に
 
佐々成正の急襲を受けました。
 
正信偈のお勤めの最中にそのことがわかりましたが、
 
途中で勤行を止め逃げることは出来ないため
 
出来る限りの速さでお正信偈を勤め
 
ご本尊を背中に担ぎ、井波に逃げました
 
という歴史をもつため
 
現在でもその時と同じように
 
出来るだけ速くお正信偈をお勤めします。
 
 
本堂でのお勤めが終わりますと
 
仏間にて重誓偈のお勤め
 
御俗姓御文章の拝読
 
勝福寺住職 藤島秀典師より法話をいただきました。
 
休憩時間にはのっぺい汁と小豆ご飯を用意させていただきました。
 
 
16日は午前9時半より
 
本堂にて讃仏偈のお勤め
 
仏間にて正信偈のお勤め
 
昨夜に引き続き藤島先生より法話をいただきました。
 
お昼には、のっぺい汁、小豆ご飯、
 
大根、里芋、南瓜の煮物、白菜のエゴマ和え、白菜の漬物などの
 
お斎をご用意させていただきました。
 
午後は1時半より
 
本堂にて重誓偈のお勤め
 
仏間にて念仏正信偈のお勤め
 
引き続き藤島先生よりご法話をいただきました。
 
 
 ~法話より~
 
現代は悲しみを失った時代
 
越中では葬儀の最初に四遍返しと呼ばれる路念仏を唱えます。
 
(全国的には三奉請)
 
昔はその路念仏が聞こえなくなるくらい皆が泣き
 
村中で悲しみました。
 
 
七高僧の源信和尚の『往生要集』
 
我は是れ悲心の器なり
 
人間だけが死を悲しみ、亡くなった人をいつまでも思い出す
 
命日は人間である悲しみを呼び覚まします
 
なお『往生要集』は中国へ逆輸入され
 
中国の寺院では経机に必ず『往生要集』を置き
 
源信和尚を東天の釈迦と讃えたそうです。
 
 
歎異抄 十三章
 
さるべき業縁のもよおさば如何なる振る舞いもすべし
 
業とは、カルマ、命の行為のことです
 
地球上の三万種の命の中で
 
人間だけが人間以下のことをやってのける
 
 
『古寺巡礼』の作者である哲学者の和辻哲郎
 
「土下座の心」というコラムの中で
 
自らの父親の葬儀の経験から
 
一番大事なのは
 
裸の命に帰って送っていくしかない
 
と言っています
 
 
納棺では、家族だけでも、心の手でさすってあげてほしい
 
納棺師まかせにして、ただ見物しているだけのようではだめ
 
お通夜では、家族だけでも、同じ部屋で一緒にいて偲んであげてほしい
 
 
人間は不完全
 
自分が絶対正しい はありえない
 
だからこそ
 
許されいる ことに気づかなければ

1月の行事予定

2015-01-03
1月1日(木) 元旦
 
 時間 : 午前1時より
 
 場所 : 聞名寺本堂
 
      太子堂
 
1月15日(木) 御正忌
 
時間 : 午後8時
 
講師 : 勝福寺住職 藤島秀典師
 
 
1月16日(金) 御正忌
 
午前9時30分
 
午後1時30分
 
講師 : 勝福寺住職 藤島秀典師
 
御正忌では、お斎にのっぺい汁と小豆ご飯をご用意しています。 
         
 
どなたでもどうぞお参りください。 
 
 
1月25日(日) 文化財保護 防火訓練
 
午前9時30分より
 
 
※1月は定例法座はお休みです。
 次回の定例法座は3月14日になります。
TOPへ戻る